本願寺西山別院

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法話

今月の法語(令和7年8月)

摂取不捨


摂取不捨(せっしゅふしゃ)とは
阿弥陀さまのおはたらきが生きとし生けるものを摂め取って決して捨てないことをいいます。
これは亡くなったときに必ず極楽浄土へと生まれさせ、さとりを開かせるということです。
このことから「逃げるものを追いかけて捕らえる」
「一度捕らえたならば決して逃がさない」ということを意味します。

毎年、蝉の鳴き声が聞こえ始めるころ、
一泊二日でスポーツクラブのキャンプ合宿を開催します。
最寄りの駅から一キロほど離れたキャンプ場を目指します。
到着すると賑やかに集まってくる子供たち。
子どもたちの点呼を済ませ、走り回ります。
いつの間にか始まるもの。一人が一人を追いかけ始め、その輪が広がっていく、「鬼ごっこ」。
準備を終え、「ピーッ」と笛を吹くことからキャンプ合宿が始まります。

 いつものように始まった鬼ごっこの喧騒(けんそう)に、ため息一つ。
笛を咥えようとすると、目に入ったもの。
キャンプ場の隅っこで、男の子が膝を抱えて、小さく肩を揺らして泣いていました。
「鬼になったかな。誰かに意地悪されたかな」と、近寄り「どうしたの?」と声をかけると、返ってきた意外な言葉・・・。

 「誰も、僕を追いかけてくれないんだ」。

一瞬、言葉を失いました。
この子は、鬼になったり意地悪をされて、泣いているんじゃない。
自分に無関心な、みんなに泣いているんだ。無関心な喧騒に泣いているんだ。
さみしくて。

 少しの喧騒が訪れ、聞こえてくる蝉の鳴き声。
「追いかけてほしい」。
ただそれだけの願いを持って、泣き続ける男の子の小さな背中をさすりながら、
「阿弥陀さまは追いかけてくれているよ。いつも君を追い求めてくれているよ。一人じゃないよ」
と言えなかった夏のキャンプ合宿の記憶。