法話
今月の法語(令和7年5月)
満(まん)を持(じ)する
「満を持する」という言葉は、弓を十分に引き絞って
発射の機を待つことが元の意味であったそうです。
ここから一般に、準備を十分にして機会を待つ意味で使われるようになったそうです。
試験や試合といった重要なイベントはみな「満を持して」臨むことでしょう。
近頃よく耳にする「終活」というのも、準備を十分にして終わりを待つものと思われます。
では準備を十分にして終わりを迎えたいのちはどうなってゆくのでしょう。
いのちの終わりを考えることは、日常でほとんどありません。
いのちの終わりを考えるということは、このいのちを根底で支える重要な意味があります。
ところが、現代では見失われているようです。
しかし、心配は不要です。
なぜなら、このいのちがいついかなる終わり方をしても、
阿弥陀さまが「満を持して」はたらき続けていてくださるからです。
合掌